甲子園って、なぜだろう。
その時にしか感じられない、輝きがあるって言ったら、やっぱり鳥肌立っちゃうかな?(笑)
慣れない物言いはやめて。
甲子園に夢中になるときと、どうでもいいと思えるとき。
それが切り替わるのは…ちょっとしたきっかけ、かな。

はじめに、夢中でTVを見たのは、今から9年前。
あぁ、もうそんなに昔になるのか…。

何気なく新聞をめくっていて、目に付いた記事。
それが、帝京高校の三沢興一投手のものだった。
後で聞いた話によると、彼はそのとき高校2年で、サードのレギュラーとして、要するに、エースピッチャーではなく、甲子園に出場していたらしい。
『重い速球』
当時の新聞には、そう、評されていた。
今となっては、『??』と思うかもしれないけど(笑)

その記事が気になって。
帝京高校の試合があるたび、TV観戦に熱中した。
確か、甲子園で彼はホームランと、エンタイトルツーベース(ワンバウンドでフェンス越え)を打っていた。
『打撃もすごいんだ!!』と感動した記憶がある。
記憶はすでに曖昧になっているのだけれど、おそらくこの夏の大会で帝京高校は優勝したのだと思う。
(違ってたりして。笑)

高校での三沢さんは、春夏通じて4度甲子園出場。
一度の、胴上げ投手になっている。
3年の春、夏ともに出場しているが、初めの方で負けてしまっていた。
さほど話題に上らなかったのは…同学年に星陵高校の松井選手がいたことが大きいだろう。
三沢さんについて書き始めると、キリがない(笑)
別の項目を作ることにしよう…。


そして、二人目。
これは、いつのことだっただろう…。
それくらい記憶があやふやになってしまっているのだけれど。
結果すらも、覚えていない。
ただ、覚えているのは名前のみ。
上宮高校、牧野投手。
彼は、ナックルボールを投げることで記事に取り上げられていた。

初めは、『ナックルって、一体何??』
といった好奇心しかなかった。
そして、中継を見て、ファンになったのだ。
牧野サンもたしか、エースではなかったように思う。
(三沢さんは、3年の時はエースだったけど)

しかし、彼は今、何をしているのだろう…。


そして、今年。
3人目は、東海大浦安高校の、浜名 翔選手。
彼は予選大会で怪我をしたエースの代わりにピッチャーをしていたのだ。
打撃投手を務めていた、ということで、怪我をしたエースの代わりに、ゼヒ!!と立候補したらしい。
キャプテンで本来のポジションは、セカンド。
それほどまでに投手をしたかったのか…。

しかし。
エースの代わり、とは言うものの彼のピッチングはすごかった。
決勝しか見ていないのを悔やむほど。
こんなことなら、はじめっから中継を見ていたらよかったー…。
負けても涙を見せず。
恒例の、砂も集めず(と、私の目には映った)
淡々としている彼は、カッコ良かった。


やはり、甲子園にはドラマがあるのだ。
来年はどんなドラマが展開されるのだろう。
浜名くんは、これからどうするのだろう。

いろいろ、楽しみが尽きない(^-^)
やはり、野球はいいなぁ…と思うのでありました(笑)



2000.8.29 TUE




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